12月15日 いわさきちひろは女流作家の先駆者

射手座には多趣、多芸でいろいろなことに手を出して、

楽しんでいる印象があります。

いわさきちひろは、絵本作家の先駆け、

いまでも多くのファンがいます。

時代を超えた先進性、普遍性は射手座の気質そのものです。

時代はまだ、大正7年の生まれ

裕福な家庭に生まれ、絵を描くことは大得意、

スポーツ万能で利発な少女時代を過ごしました。

 

射手座はスポーツが得意な人が多いようですね。

下半身が馬の形だからでしょうか。

 

絵の才能を認められ、画家について、油絵を学ぶ。

美術学校への進学を望んだが、

時代も時代許されず、

洋裁学校など花嫁修業をすることになりました。

 

女性にとってはまだ非常に不自由な時代、

女性が自分の好きなことをできる時代ではなかったのです。

 

20歳で結婚するも、しかし、1年もたたぬうちに夫が自殺。

 

自立の道を模索するが、絵では食べていけない時代、

書道ならば食べていけると書道を学ぶ。

書道にもなみなみならぬ才能を発揮する。

 

戦況の悪化により、東京から長野県松本市に疎開。

 

1945年終戦、その時26歳

 

31歳再婚、長男を出産する。

 

面白いエピソードは、母乳を分けた近所の乳飲み子はのちにタレントになった三宅裕司だという

 

1951年夫が司法試験に合格、弁護士となる。

その後、国会議員に(共産党)なり、国会議員の妻として、画家、一児の母として輝くのでした。

 

ヒゲタ醤油のポスターが若いころの代表作。

 

絵本の芸術性と、地位向上のために力を尽くす

 

1974年に亡くなる、まだ55歳、肝臓がん。

多くの業績を残し、今なお多くのファンに愛されてます。

 

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