12月12日・ゴーイング マイウエイ・フランクシナトラ

フランクシナトラは、偉大な歌手であり、俳優、実業家、慈善家です。

20世紀アメリカを代表する稀代のエンターテイナー

よく、おじさんが、「マイ ウェイ」をカラオケで歌うおうとします。

特に、課長あたりが、これは自分の十八番と歌って、

まわりの人たちが渋々拍手をする光景が

よく見られます。

この今日は、簡単に言えば、

「俺はよくやった、すごいだろう」という歌です。

中間管理職があこがれる生き方なのでしょう。

 

ちなみに、マイクスタンドからマイクを取って歌ったのは、

シナトラが最初だといわれています。

このスタイルは、マイクロフォンの性能アップから、

大きな声で歌わなくてもよくなったのです。

囁くように、甘い声で、やさしく歌った最初の人物になりました

 

時代の最先端で、素早く技術を自分のものにする、時代感覚の鋭さ、

矢のような素早さは射手座のものでしょう。

 

余りに大きな業績は、一言では表すことはできません。

 

イタリア移民の出身から、いじめや差別も受けていたのでしょう。

人種差別問題については一貫して強い関心を持っていました。

あの公民権運動の時代に、自分の楽団に、黒人を多く採用していました。

単なる差別問題としてではなく、黒人の音楽性を高く評価していました。

正義を貫く、本質を見極める。射手座ならではの感覚です。

 

また、マフィアとの関係もあるのではないかと話題になりました。

ちょっとブラックな面ですが、そこもまた、イタリア系の魅力ととる人もいます。

内にある不思議な魅力の一つです。

 

相当なプレイボーイで、4度の結婚、マリリンモンローと付き合ってたりしました。

実に自由で放漫なところは射手座の人にありがちです。

精力的で、放つ矢はいろいろなところに飛び、その自信にあふれた態度と素直さがもてる秘訣のようです。

明るく陽気で気前がいい

チャリティーコンサートを繰り返し開催し、社会貢献を果たすことができました。

 

戦争があった激動の時代、そのなかで政治的な活動にも熱心に取り組みました。

ケネディ家との付き合いはよく話題にされるとこです。

 

最後の来日は、1994年

1998年心臓発作により死去、82歳

偉大な星でした。

 

 

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